みなさん、はじめまして。
私は「こころ」の問題をテーマとして、「こころ」の問題に関わっている精神科医です。精神科医なら「こころ」に関わるのはあたりまえの話かもしれませんが、あえて「こころ」に関わると申しましたのは、われわれは実にさまざまなところで、気づかないうちに、こころの問題に巻き込まれていて、知らずしらずのうちに、こころの失調状態に陥ってしまうことが避けがたい時代に生きていると考えるからです。身体的な失調もこころの関与が否定できないどころか、むしろ主たる原因になっている場合があるのは皆さんもご承知のことでありましょう。
では、その時代とは、どのような時代なのでしょうか。
私は、冒頭に掲げた「不安な時代」と「不安の時代」という二つの軸で考えてみたいと思っています。
「不安な時代」とは、その時代そのものがいろいろな意味で不安定で、例えば、社会、経済、価値観など、時代を表すさまざまなコンセプトが不安定で、そういったコンセプトやそこから派生してくる事象の中にいて、いわば大きな流れのなかで直接的にわれわれが影響(ストレス)を被るような時代のことと捉えてみます。
一方、「不安の時代」とは、不安そのものが、至る所で、さまざまの具体的な事象に沿ってであれそうでない場合であれ、リアリティーを欠いたままテーマ化している場合です。何か起こるとすぐに「不安」という無記名で捉えどころのない、われわれの想像力を抑圧してしまう、まるでブラックホールのような存在に飲み込まれてしまう、そんな時代のことです。例えば、「12歳のこころの闇」というような表現は、「12歳までは」なんとかわかるとしても、「こころの闇」に至っては、端的にわれわれの「不安」をそこに観ているだけです。地球温暖化現象にしても、不安がテーマ化しているだけで、リアリティーを欠いたものとしてこの問題を相手にしない国のあることもご存知のことでしょう。このように「不安」が一人歩きしているような時代、何か起こると「不安」と同義の言葉で括るしか表現のしようのない時代、のことです。
かつて日本が経験した大戦のあった時代は、「不安な時代」といってよいでしょう。不安な時代はその不安の来歴がある程度われわれにわかっている、といってよいでしょう。翻って、今の日本では、すなわちわれわれは、まさしく得体の知れぬ「不安の時代」を生きているのです。
このような時代は、不安の来歴がわからない分、われわれにかかるストレスも強くなります。「不安」という意匠しか見出されない事象がいたるところで起きている時代こそ、ストレスがいたるところでわれわれに働きかけてきます。うつ病に陥ること然り、そのままわけのわからない「パニック」発作にいたること然り、そのほか身体的不調にいたること、不眠に陥ること、幻覚や妄想にいたることも、然り、です。言葉をかえていうと、かつてのように、何々病にかかりやすい傾向の人は云々の性格傾向をもつとかという論議は、しにくくなってきています。例えば、うつ病にかかりやすい人の性格傾向を、うつ病親和型と捉え、几帳面で正確に仕事をこなす仕事人間がその典型とされましたが、今ではその輪郭がぼんやりしてきて、ストレスによって誰もがうつ病にかかる可能性があるのではないかと言われ始めています。
何らかのきっかけからテーマとなってしまった「不安」からの離脱、ストレスをストレスとして認知し、さまざまの心的失調から解放され、健康なこころの活動を取り戻していくこと、これこそが「不安の時代」を生きなければならないわれわれの課題なのではないでしょうか。
私はそのお手伝いをしたいと願っています。如何に自分の置かれた状況を捉え、そこからストレスとなって自分の身に降りかかっている事柄を自己認知し、対処していくか、このような課題に、薬物療法や精神療法、さらにはカウンセリングの手法を交えて、お応えしていくことができればと念じております。
そのような状況のなかでストレスをなんとなく漠然と感じて、なんとなく心の健康に問題あり思っていらっしゃる方、どうぞ、一度、当医院にご相談に来てください。問題を整理しつつ、来談者の方とご一緒に考えていきたいと思います。お待ちしております。